2009年5月13日

リードの意味

今朝は4時に起きてしおじ&フーゴにごはんを食べさせ、夜が明けるのを待って軽く散歩に連れ出す。帰宅後、凸凹コンビはバリケンでお留守番。私は朝5時半に自宅を出て高速バスで東京に向かった。到着まで2時間弱。しおじがパテラの手術を受けてから完全回復を遂げた現在までの3カ月間を振り返ってみた。

しおじは最初からよく理解していた。なぜ膝の手術を受けるのか。なぜ左脚にグルグルにバンデージが巻かれているのか。なぜエリカラが必要なのか。なぜ散歩に行けないのか。なぜ走ってはいけないのか。そして、その理由を納得してよく受け入れていたと思う。

しおじは普段とまったく変わらなかった。ヘンに甘えることもなく、八つ当たりすることもなく、ストレスやフラストレーションをため込むこともなく、手術前と比べたら制限だらけの生活だったにもかかわらず、妙にあっさりと受け入れていた。

幸いなことに術後の経過がよく、そのうちに「歩き散歩5分OK」の許可が出て、その1カ月後に「歩き散歩10分OK」の許可が出た。わずか5分、10分の散歩でも、しおじは満足していたように思う。前にも書いたけど、オンリードのてくてく散歩でも心が満たされていたのだと思う。

しおじのリハビリ期間を通じて、私の歩き散歩に対する考え方も180°変わった。以前は、ヒールの徹底などマナーやルールを身につけることに一生懸命で、歩き散歩そのものを楽しむ余裕がなかった。しおじは、オンリードの歩き散歩よりもオフリードで自由に野山を駆け回るリフレッシュの方が断然好きなのだろうと勝手に思い込み、そう決めつけていた。でも違った。しおじは歩き散歩も大好きだった。それはフーゴもおんなじだ。

170センチのリードの両端にしおじとフーゴをつなぐ。その中央を私が持ち、ちょうどヤジロベエのような格好で歩く。コトバを口に出して話しかけることもあれば、心の中で話しかけることもあり、ただ見守るだけのこともある。しおじとフーゴは、表情やしぐさ、アイコンタクト、耳の向き、鼻先でチョンチョンと触れるなどして意思表示する。歩き散歩は、大切なコミュニケーションの手段だと気づいた。歩き散歩で、私たちの間をものすごい量の情報が行き来することがわかった。リードは私としおじとフーゴをつなぐアンビリカルコード(へその緒)の役割を果たしていることもわかった。ある時は命を守るための命綱であり、ある時は意思を伝えるためのツールであり、ある時は愛情を双方向に運んでくれる大切なコードなのだ。

しおじがパテラの手術を受けていなかったら、歩き散歩の楽しさに気づかなかったと思うし、オンリードで歩くことの意味など考えたこともなかったと思う。

・・・などと、とりとめもなく次から次へと頭に思い描いているうちに東京駅に着いた。






写真提供(2枚とも):ribekaさん@Alf&Max dogs home

これは、しおじ1歳のバースデーに大好きなAsh兄ちゃんたちと浜辺で遊んだ時の写真。自分以外はオフリードで楽しそうに走り回るという状況のなか、こんなに満ち足りた表情をしているのは・・・やっぱり大好きなAsh兄ちゃんのおかげか?!Down-Stayでじっと見つめる姿がいじらしい☆